自由民主党所属の参議院議員の長谷川岳さん。
長谷川岳さんの父が意外な学校の支援者だったことを聞いて驚きました。
そこで、今回の記事では、
・長谷川岳の父はあの学校の支援者!
・長谷川岳は校長から学んだ事は何!
についてリサーチしてみます。それでは最後まで読んで行ってください!
長谷川岳の父はあの学校の支援者!
長谷川岳参議院議員の父親は、戸塚ヨットスクールの支援者でした。
戸塚ヨットスクールは、あの戸塚ヨットスクール事件の戸塚ヨットスクールです!
戸塚ヨットスクール事件とは、1979年から1982年のかけて、
戸塚宏やコーチが、訓練生に対して日常的に体罰や暴力を振るっていたことで、
当時の訓練生の死亡したり、行方不明になったりと、大きな社会問題になった事件です。
この様な事件の最中、長谷川岳参議院議員は小学5年生の時、
長谷川岳参議院議員の兄とともに、この戸津がヨットスクールに入学しています。
ここで長谷川参議院議員は、『己の身は己で守れ』ということ学び、
「国会議員の立場となっても胸に留め置き、日々全力を投じて参りたいと思います。」と明かしていました。
戸塚ヨットスクールとの関係
父親が戸塚ヨットスクールの支援者だったことから、小学5年生の時に兄とともに戸塚ヨットスクールに入学している。私が期間入校の時に身をもって学んだことが、まさにこの『己の身は己で守れ』ということでした。小学生の夏に、しっかりと身体に刻み込んだこの感覚を、今、国会議員の立場となっても胸に留め置き、日々全力を投じて参りたいと思います。」と述べた[25][26]。
戸塚ヨットスクール事件では戸塚宏やコーチが、訓練生に対して日常的に体罰や暴力を振るっていたことが明らかになっている。1979年から1982年にかけて、暴行を受けて訓練を強要された13歳の少年が死亡したり、21歳の青年がコーチらから暴行を受け死亡したり、体罰から逃れるために2人の少年が海に飛び込んで行方不明となったり、暴行を受け何度も海に転落させられた13歳の少年が死亡するなどの事件が発生していた。
1971年2月生まれの長谷川は戸塚ヨットスクール事件の真っ最中に入学したことになる
出典:Wikipedia
長谷川岳は校長から学んだ事は何!
戸塚ヨットスクールは、1976年ヨットマンの戸塚宏により、
「オリンピックで通用するような一流のヨットマンを育てる」という理想の下で設立されました。
戸塚宏さんは、「青少年の問題行動は、脳幹の機能低下により引き起こされる」という持論から、
脳幹を鍛えれば「出勤・登校拒否、引きこもりなど克服できる」という考え。
この持論は、医学的根拠は何もなく、第三者による客観的・科学的な証拠はなにもないと言われています。
1976年、ヨットマンの戸塚宏により「オリンピックで通用するような一流のヨットマンを育てる」という理想の下で設立される。
戸塚宏が「脳幹論」と称するものに基づいている。この「脳幹論」とは、「青少年の問題行動は、脳幹の機能低下により引き起こされる」という持論に基づき、「アトピーや喘息、出勤・登校拒否、引きこもり、癌なども、脳幹を鍛えることによって克服できる」と説くものである。しかし、それらの主張を裏付ける医学的根拠はなんら存在せず、第三者による客観的・科学的な検証も不十分である。
出典:Wikipedia
長谷川参議院議員は、戸塚ヨットスクールの入学について、
「人間は本当の危険にぶつからないと、本能的な危機管理の力は育たないと思う。」と
戸塚ヨットスクールの良さを語っていました。
戸塚ヨットスクールの教えは、「体罰は必要。子供は恐怖心から進歩する」という考え。
まさに長谷川参議院議員が札幌市職員や客室乗務員への態度は、それそのもの。
長谷川参議院議員のパワハラの始まりは、
もしかしたら、ここでの教育からでは?と思いました。
長谷川は2009年衆院選でインタビューを受け、戸塚宏や戸塚ヨットスクールの入学について「人間は本当の危険にぶつからないと、本能的な危機管理の力は育たないと思う。いろんな批判は受けても、私は筋の通った意見だと思います」と語っていた。
出典:Wikipedia
まとめ
長谷川岳の父はあの学校の支援者!校長から学んだ事は何!についてリサーチしました。
長谷川岳参議院議員の父親は、戸塚ヨットスクールの支援者でした。
ちょっと意外でびっくりしましたが、
「オリンピックで通用するような一流のヨットマンを育てる」という理念に
長谷川岳さんは惹かれたのかもしれませんね。
以上で報告終わります。
最後まで、読んで頂きありがとうございました。
コメント